味噌汁のように生きる

楽に生きよう。適当に。 間違うことも失敗することも色々あるけど。適当に。

「努力は才能に勝るのか議論」の無駄さが半端ない

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ども、ぺぎおです。

最近、努力才能論に異論を唱えたツイートを見かけたのですが、よくよく考えると、この話題って論点がぶれまくってるんですよね。

僕は10年間クリエイターをやってきたんですが、この小学生から絵を描いてます!みたいな人がごろごろいる世界で生き残っていくために、上達や才能について腐るほど調べてきました。

それでたどり着いた、努力は才能に勝るのかって話についてちょっと書きますね。

努力は確実に実るのか

まずこれ。

努力は確実に実るかどうかなんですが、答えはイエスでもありノーでもあります。

最初に書いた通り、この手の話題って論点ブレブレなんですよ。

才能との相対比較なら、確実ではないので、ノーです。

個人の成長という観点なら、イエスです。

才能ってなんだ

まず才能ってなんなんですかね。

多くの人は生まれた時から持っている、特別な能力と定義してると思います。

これは異論ありません。でもこの才能を測る基準ってなんなんですかって事になると、いわゆる才能がない人との相対比較をする事でしか定義できませんよね。

つまり、才能って、才能がない人とある人の相対比較によってでしか説明できないものなんですよ。

そしてとある研究では、「練習の個人差」がある事を証明しています。

つまるところ、スキルの上達には才能云々も含めて、100%個人差が存在してるんです。

つまるところ、才能がある人とない人の努力について計測した場合、実るかどうかって事を、才能がある人との相対比較で測る場合

努力は確実に実るのか? という答えに関しては「ノー」です。

この才能というのが何なのかは科学はまだ証明しきれてません。

そもそも努力は他人との相対比較じゃない

若干がっかりされたかと思いますが。ちょっと待ってください。

努力ってそもそも他人との相対比較で測るものじゃないでしょう、ってのが僕の意見なんです。

僕は能力には「閾値」があると思っています。これについては書き始めるとまた長くなるので簡潔に。

能力って、最初は指数関数的(最初はすごく緩やかで途中からグンっと上に)に伸びて、後半は対数的(勢いが弱まって、また緩やかに)伸びるんですよ。

指数関数、対数のグラフがイメージできない人はリンク先でご確認ください。

この理由はですね。
「知識量」です。

才能を持って生まれるってのは、本当に生まれてる時からもってるのか、それとも幼少の境域の賜物なのかはまだ説明がついてませんよね。僕はどちらもありうると思っています、生物的な遺伝的要素と、環境遺伝的な要素。

つまり、親から遺伝子レベルで引き継いでいるものと、親がスポーツ選手や音楽の仕事をしているなら、それらに関わるものに幼少の頃から触れ合う事によって、早いうちにそれらの知識が身につくという環境的な遺伝要素の2つです。

で、これらを持つ子供は、基礎的知識をもった状態で、幼稚園、小学校とあがっていくので、まだそれらの情報に触れてない子供に比べて「才能がある」子供に見えます。

そして、知識があれば、あとは肉付けしていくことで知識、スキルをどんどん大きくできるので、成長も早いんですよ。

これは僕の定義なので、世間で言われてる才能の定義とは少し違うんですが、僕は才能とはこういう事だと思っています。

そのため、神童と呼ばれた子供を調べていくと、大人になた後には後発的ないわゆる「秀才」にほぼほぼ追いつかれてるんです。ここが能力の成長が対数的だと感じてる理由なんですね。

で、才能があろうがなかろうが、能力を伸ばすってのは「知識」をつけていく事なので、出発が早い人と比べると、指数関数の序盤で成長がゆーっくりのタイミングで比べちゃう事になるんで、「自分は才能がない」という事になっちゃうんですよね。

だからそもそも誰かと相対比較した時点で、序盤は、遺伝的能力の遺伝が科学的に存在していなかった場合でも、環境的遺伝で先に知識を持ってる人間には100%かなわないので、努力は才能に勝るのかって答えは「ノー」になるんです。

だから努力は、他人と比べちゃだめなんですよ。先行した知識量が影響するものを先行して知識を持ってる人間と比べてたら何も努力できませんよ。

だから努力なんてそもそも、やった分は100%成長するんだから、他人と比べるんじゃなくて、昨日の自分と比べなきゃ。

スポーツは例外

ただ、スポーツは例外です。なぜならこれはかなーり年齢制限が関わってくるので。後から追いつくのがかなり厳しい業界です。

そもそもリーグやらなんやらに年齢制限もありますし、肉体的な問題もありますから、スポーツに関して、先行知識を持つ人=才能のある人を相手にする場合、生半可な努力では100%追いつけません。

相当な量の知識量を取り入れて、学習しないとまず不可能です。

それに比べたら、芸術は楽ちん。プロの奏者として…となると、狭き門でしょうが、食っていく道は結構ありますので、努力不足を才能のせいにして逃げる前に、しっかり学べば問題なし。

正しい努力とは

じゃあ、正しい努力ってなんだって事なんですが。

知らない知識をつけることです。

できない事を克服する事。 とも言い変えられますね。

絵の世界にはたまにいるんですよね…できることをひたすら続ける愚かな練習法を採用してる人が。それでうまくなるわけないだろって。

できない事を学べば、新しい知識が100%ついきます。そうすればそこから派生した知識をつける速度があがります。そしてまたできない事を見つけて、穴をうめる。

これをひたすら繰り返すだけ。

できない事に注力するのは、苦しいです。特に最初は。だけど、どんな事でもちゃんと学べば確実に成長するという体験を繰り返せるので、努力が苦痛じゃなくなりますし、知識量が増えると新しい事の習得が用意になります。つまり、指数関数の緩やかなラインを超えたあたりですね。

なにかをやりきった人は経験されてるでしょうが、ここに到達すると爽快ですよ。まぁその後、信じられない沼がくるんですけど。そしてそこに憧れの人も片足突っ込んでもがいてるんです。何かを追求するってのはそういう事なんだなと。でも沼も沼で楽しめるんですけどね。

まぁ努力の仕方を間違えなければ、毎日一歩ずつ確実に成長し続けられるので、諦めないで。

努力は才能に勝るのか?の答えは

つまり、答えとしては

「すげー人よりすげー人になりたい」なら、「まぁほぼ無理だから諦めろ。できたとしても、かなりの努力が必要だと思え」って事で

「昨日の自分よりすげくなりたい!」なら、「100%可能だから頑張れ」って事です。

相対比較するかしないか。及び才能の定義が何なのかって事で。僕は割と努力を肯定的にとらえてますが、巷で言われてる魔法のような感覚で捉えてないって事です。コツコツ苦手を潰すクソ地味な作業ですよ。

好きなら才能なんて気にすんな

才能の定義が、僕の言ってるもので正解ならば、そもそも気にする必要がない事がわかるのですが…、

科学的に才能の定義が別に存在していた場合は、もしかすると後天的に能力を得るのが難しいという証明になるなんて事も、未来に起こりうるかもしれません。

でも、楽しいかどうかが一番重要なので、楽しけりゃやりゃいいでしょ。

人生の価値なんて、楽しんだかどうかが一番重要なんだから。

この記事を読んでも才能に対してまだ疑いがあるなら、「楽しけりゃいいか」って思ってやるのが一番じゃないですかね。

そいでは、また。

参考リンク